- 人権
6月23日 「慰霊の日」
6月23日 「慰霊の日」。
自治体議員立憲ネットワーク(法による政治をめざす自治体議員の会)の会議は黙祷から始まりました。
沖縄に関連する平和への取り組みも今後、計画されています。
沖縄の現状を知り心を寄せて考える人が増えてほしい。つながってほしいです。
~「沖縄全戦没者追悼式」で読まれた玉城知事のことばを以下にコピペします~
本土決戦の時間稼ぎとして激烈な地上戦に巻き込まれた沖縄・・・
当時4人に1人が命を失くしました。
1945年、今から78年前、ここ沖縄で一般住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が繰り広げられました。
90日に及ぶ鉄の暴風は島々の山容を変え、豊かな自然と文化遺産のほとんどを破壊し、20万人余りの尊い命を奪い去りました。
沖縄県民は、地上戦だけではなく、南洋諸島からの引き揚げ船の撃沈や、学童疎開船の犠牲、10・10空襲、学徒の動員、戦争マラリアなど、想像を絶する被害を受けました。
毎年、6月23日を迎えるたびに、戦争体験者が戦争の不条理と残酷さを、後世に語り継いできてくれた実相と教訓を胸に刻み、あらゆる戦争を憎み、二度と沖縄を戦場にしてはならないと、決意を新たにするのです。
戦後27年に及ぶ米国統治を経て、1972年に本土に復帰してから51年となりました。
しかしながら、現在もなお、在日米軍専用施設面積の約70.3%が本県に集中し続け、航空機騒音をはじめ、水質や土壌等の環境汚染、航空機事故、米軍人・軍属等による事件・事故など、県民生活にさまざまな影響を生じさせています。
このため沖縄県は、在沖米軍基地の更なる整理・縮小、日米地位協定の抜本的な見直し、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去と早期閉鎖・返還、辺野古新基地建設の断念等、基地問題の解決を強く求め続けてまいります。
昨年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」及び「防衛力整備計画」においては、沖縄における防衛力強化に関連する記述が多数見られることなど、苛烈な地上戦の記憶と相まって、県民の間に大きな不安を生じさせており、対話による平和外交が求められています。
ロシアによるウクライナ侵攻から1年4カ月が経過しようとしており、現在も憂慮すべき事態が続いております。
沖縄県民は、国際社会の連帯と協力による一日も早い停戦が実現し、平穏な生活を取り戻せることを切に願っております。
今ある命、今に残る文化、自然環境、これらを未来を担う子や孫たちに受け継いでいくことが、人々が共有する願いであるということを確かめ合ってまいりましょう。
アジア太平洋地域における関係国等による平和的な外交と対話による緊張緩和と信頼醸成、そしてそれを支える県民・国民の理解と行動が、これまで以上に必要になってきています。
私たちは、アジア太平洋地域における観光、経済、環境、保健・医療、教育、文化、平和など多分野にわたる国際交流を通じて、沖縄県が築いてきたネットワークを最大限に活用した独自の地域外交を展開し、同地域における平和構築に貢献できるよう努めてまいります。
沖縄県では、ここ平和祈念公園に、「沖縄県平和祈念資料館」と「平和の礎(いしじ)」を建設し、戦争の犠牲になった多くのみ霊(たま)を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次世代に伝え、世界の恒久平和を願い続けております。
民間においても、幅広い世代による平和への行動がさまざまな場面で行われており、平和を願う輪が広がっています。
また、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てた「ちゅらうちなー草の根平和貢献賞」や「沖縄平和賞」を通して、平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に発信するとともに、沖縄がアジア太平洋地域の国々との架け橋「万国の津梁(しんりょう)」となることを目指しております。
非暴力の信念を貫いたガンジーは「平和への道はない、平和こそが道なのだ」という言葉を残しています。
「平和」とは、戦争や紛争のない状態にとどまらず、貧困、暴力、人権の抑圧、差別、環境破壊などがない、安らかで豊かな状態であり、本県が発信する「沖縄のこころ・チムグクル」には、人間の尊厳を何よりも重く見る「人間の安全保障」も含まれます。
沖縄県は、全ての人への不当な差別は許されないことを宣言するとともに、人々が互いに人格と個性を尊重し合いながら共生する誰一人取り残すことのない優しい社会の実現に全力で取り組んでまいります。
私たち一人一人が平和について考え、沖縄から世界へ平和のバトンをつなげ、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります。
- 写真はこの春、沖縄を訪れたときのものです。
辺野古で活動しているともだちにも久しぶりに会えました。